上海での5年間。それが物語の始まり
生まれ育った名古屋で事務仕事を約20年続けてきた私の人生は、夫の海外赴任で大きく変わりました。
5年間の中国・上海での生活が始まったのです。

大好きだった仕事を辞め、社会から取り残されたようで焦燥感に苦しみました。
知人さえもおらず、話相手は夫だけという状況に耐えきれなかった日々。
「何か、できることはないだろうか」そう模索していた時、運命の出会いがありました。日本からグルーデコ教室を主宰していた方が、上海に赴任してきたのです。
出会いと別れのスパンが短い駐在生活の中で、奇跡のような出会いでした。

自分で制作したアクセサリーを着けた時に感じた高揚感と、制作の難しさから「極めたい」と職人気質に火がつき、あっという間にのめり込んでいました。
塞ぎ込んでいた自分が、「やりがいができ楽しそう」「いきいきしている」と声をかけてもらえるようになったのもこの頃です。

駐在中に自分でもグルーデコ教室を開始。
そして日本に帰国後も名古屋で教室を再開し、オンラインショップの運営と活動の幅を広げてきました。
現在のprunelle(プリュネル)のアクセサリーは、グルーデコ作品の幅を広げるために勉強したことがきっかけに生まれました。
技を磨き、素材の探究を突き詰め、自分の想いを表現するアクセサリー制作に励み続けています。
おしゃれ迷子から自分を取り戻すまで
驚くことに、上海での駐在生活で、私は1着も洋服を買いませんでした。どうしても「おしゃれ」に関心が持てなかったのです。

仕事を辞めた焦燥感
何も言われてないのに罪悪感を感じる買い物
赴任してすぐに起きた大きな反日運動
受け止めきれない出来事に、気持ちの余裕を失い、自分さえも見失っていました。
日本へ帰国し「おしゃれ」への気持ちは復活しましたが、着る洋服がありません。
5年間も買い物をしていないと、どんな洋服が好きだったか、どんなお店で買っていたかもすっかり忘れていたのです。「おしゃれ迷子」─それが、私の正直な姿でした。
クローゼットを開ける度に気が重くなり、だんだん外出するのも人と会うのも恥ずかしくて億劫に…
そこで、パーソナルスタイリストの力を借りることにしたのです。

彼女の言葉に私の心が動きました。
「見た目を変えるだけで内面も変わる。女性は見た目を変えた方が早い。」
彼女の言う通り、クローゼットが整うと不思議と気持ちが前向きになり、自己肯定感も上がっていきました。
そして「大人のおしゃれにはキラキラとツヤツヤが必須」とも。
年齢とともに体のラインが変わり、お肌や髪から艶やハリがなくなります。
ところが、コーディネートの最後にアクセサリーで輝きと艶をプラスするとおしゃれ度がグッとあがる。そしてスタイルアップも。「秒で3割り増し素敵」になれると実感しました。
やっと自分を取り戻せた時、「女性にとっておしゃれ(見た目)は自信につながる」と確信したのです。
私に影響を与えてきたもの
私の美意識は幼い頃の遊び場だった茶華道講師をしていた祖母のお稽古場で育まれました。

お道具や花など「良いもの」だけに囲まれた空間。さらに勉強家だった祖母のカラーカードや色相環などの配色道具で遊んだ日々が、見る目やセンスに大きく影響しました。
進学は家政科。
「感覚」でしかなかった「センス」を論理的に証明できることが楽しく、中学の家庭科教師の資格をとるまで励みました。

宝石店でのアルバイトも、prunelle(プリュネル)の土台になっています。
店長の「婚約指輪を選ぶ時は、(4Cで評価されるダイヤモンドの品質のうち)つけた時にパッと分かる大きさを優先しなさい」という言葉。
これが、現在のprunelle(プリュネル)の淡水パールを選ぶ指針になっています。
大人女性の肌を美しく見せ、身につけた時に目立つのは艶や照りです。普段使いのパールとして、艶や照りを優先に淡水パールを選んでいます。
おしゃれへの想い
おしゃれをするということは、自分に手と時間をかけ、自分を大切にすることです。
子育て・仕事・家事などで自分のことを後回しにしがちな女性。
アクセサリーを選びつけておしゃれをするように、楽しいことや好きなことで自分に時間をかけると、幸せな気分になったり心地よく過ごせたりと気持ちに余裕ができます。
そして自己肯定感が上がり、自信もつきます。
年齢を理由にやりたいことをあきらめるのはもったいないと、40代半ばから人生が大きく変わった私は思います。
おしゃれをして自信をもってやりたいことにチャレンジし、自分の人生を楽しんで欲しい。そんなあなたを、prunelle(プリュネル)のアクセサリーで応援したいと願っています。